[画像]「LaVie Z(ZERO)」

2015年1月8日(米国時間)、NECPCとレノボ・ジャパンは、米国ラスベガスで開催されている「2015 International CES」(CES=The Consumer Electronics Association(全米家電協会)が主催する世界最大級の"家電見本市")において、CES公式アワードである「Best of CES Awards 2015」の「ベストPC賞」を受賞したと発表しました。また「ベストPC賞」以外にも20以上ものアワードを獲得したのです。日本国内をメインターゲットとし、高い市場評価を勝ち得ていたNECPCのものづくりが、世界に認められた瞬間でした。
今回、CES「ベストPC賞」を受賞したのは、レノボにより日本国外で提供される最初のNECPC開発製品となる「LaVie Hybrid ZERO(※以下、LaVie Z (ZERO)と表記)」。2012年に発売された初代「LaVie Z」から、翌2013年に発売された第2世代「LaVie Z」を経て、第3世代となる製品です。初代から実現し続けてきた「世界最軽量」というテーマを極限まで追究し、権威ある「CES」において「ベストPC賞」の栄誉を得ることができた第3世代「LaVie Z (ZERO)」。しかし、その製品開発には「世界最軽量PC」におけるトップランナーとしての葛藤もありました。
日本国内外100名近くの巨大開発設計チームで個性的なエンジニアを束ね、世界に認められるものづくりを推し進めたのが、部長であるM.K.。まるで鍛え抜かれたアスリートが、さらにストイックに自らを鍛え抜くかのように世界最軽量化に取り組んだ第3世代「LaVie Z (ZERO)」。ちなみに第3世代から名称に使用された「ZERO」とは、軽さをさらに際立たせるための「Zero Gravity(無重力)」を意味しています。第3世代において、従来の常識を覆した軽さの実現を、全世界へと高らかに宣言した名称変更です。その一部始終に関わってきたM.K.に、開発への思いを聞いてみました。

[画像]M.K.

背景「コンマ1グラム」の闘い。

2012年に発売した初代「LaVie Z」は、875g、翌年リリースした第2世代は795g、そして今回は、779gと、製品リリース時には、全て世界最軽量を実現してきました(※第3世代は、13.3型ワイド液晶搭載ノートPCとして(2014年12月1日現在。NECPC調べ))。正直なところ、初代で世間の注目を集め、第2世代ではさらなる軽さを実現できたのですが、第3世代は、さあ、どこを、どうすればいいのか(笑)。単純に軽量化だけを考えるのなら、比較的容易に実現することはできます。しかし、私たちに必要なことは、軽量化を担保しながらも、リリース時点で最高のパフォーマンスをも実現できるということ。軽量化のために、パフォーマンスを犠牲にすることだけは絶対にできません。エンジニアとしては、CPUの性能を変えれば、比較的容易く軽量化が実現できることはわかっています。しかし私たちは、あえてこの段階においてもファン付きのCPUにこだわりました。また、第2世代はメモリが4GBだったのですが、今回は8GBです。そうすると基盤の層も増えてきます。このようにパフォーマンスにおいてはさらなるパワーアップを。しかも前世代製品よりも軽く…。まさに、どこをどうすればいいのか(笑)。これは一つひとつのパーツに落とし込んだ際は「コンマ1グラム」を絞り込んでいく世界になります。エンジニアとしては、まさに途方もない挑戦となりました。
ひとつの製品が世に出るためには、企画側からの要件提示があり、それを私たちエンジニアが事前検証し、技術的に「できる!」というバックグラウンドを経営側に約束し、承認が下りた段階ではじめて「ゴーサイン」となり、「キックオフ」を迎えるわけですが、今回の「LaVie Z (ZERO)」は、私の長いエンジニア人生のなかでもきわめて異例のキックオフとなりました。

[画像]製作風景 [画像]製作風景

先ほどもお話した通り、各パーツにおいては「コンマ1グラム」を絞り込んでいく世界です。事前にサンプルを集め、机上でシミュレーションをしていくわけですが、量産化のバラツキを考えた際、どこまで実現できるのか。エンジニアとしては正直なところ「やってみなければわからない」という状態だったのです。塗装の膜圧、筐体のポリッシュの加減…、こうしたことひとつとっても「コンマ1グラム」は変わってきます。それほど細部を見た設計を行わなければ、前世代の「795g」に対してのさらなる軽量化は実現できないのです。ふたを開けてみたら前世代の「795g」から、1グラムしか変わらないということなら、到底、世に問うことなどできません。
[画像]「LaVie Z(ZERO)」 本来であれば、キックオフの時点では重量見積が要件を満たしているという前提が必要となるのですが、今回に限り、私は経営陣に対して「キックオフ時点では満足のいくデータはできていないが、トライさせてほしい。状況がより正確に見えてきた時点で、軽量化は必ず約束する」と直談判しました。現場の各エンジニアが、「コンマ1グラム」の減量のために、考えて考え抜いて設計し、サンプルをつくり、平均値を取り、さらに考え抜く…。この過酷なプロセスでは「もう、あきらめたら、どうだ?」との上層部の声も私には聞こえてきました。しかし、私自身はその声があったからこそ、逆にエンジニア魂に火が付いたというか(笑)、絶対にやってみせるという強い思いにつながりましたね。エンジニアとしての「意地」といってもいいかもしれません。

[画像]M.K.

危機想定外のトラブル発生

2014年1月に迎えたキックオフ以降、半年以上の時間を経て「減量作戦」は、軌道に乗ってきました。夏が近づく頃には、エンジニアも私も、先が見えてきた安堵感があったものです。そんな時、想定の範囲を超えた出来事が起きてしまいました。
2014年8月のある日、中国・昆山にある金属加工工場で爆発事故が発生したのです。爆発事故を起こした工場は、私たちがお願いしているベンダーではありませんでしたが、中国政府の指示により、系列の関連会社ばかりではなく、エリア内の金属加工工場や塗装ベンダーが全て、監査が終了するまでの期間、操業停止に追い込まれました。事故当初は、1〜2週間程度の操業停止で済むと思っていたのですが、いつまで経っても再開の目処はつきません。我々も数ヶ月かけて生産現場のオペレーター教育を実施してきただけに、さすがに途方にくれてしまいました。結果として新たなベンダーを見つけ、開発・生産部隊が一丸となって短期間での教育を施すことで切り抜けることができたのですが、当時はまさに「てんやわんやの大騒ぎ」でした(笑)。

[画像]製作風景 [画像]製作風景

「ベンダー問題」が一段落し、翌年からの生産計画も見えてきた2014年12月。さらなる問題が浮かび上がってきました。それは、新しいチップセットに絡んだ問題です。このままではとても量産化はできないと判断しました。検討の結果、CPUの中身の問題だと判明したのですが、現場ではなかなか解決策が見えてきません。しかし、一方ではスケジュールが差し迫っている…。思い切って米国のCPUベンダーにエンジニアを派遣して、CPUベンダーとともに解決策を見つけ出すことで、問題の箇所を発見し、解決することができました。改善策が見つかったのはクリスマス直前の12月22日。それまではCPUベンダーの米国エンジニアと、土日も返上して作業をしてもらいました。米国と日本とでは、クリスマスというイベントに対しての考え方に相違があります。米国では日本人的感覚では想像がつかないほど、クリスマスという日への思いが強いのです。米国のエンジニアも、クリスマスは返上することはできないと、必死になって頑張ってくれました。あらためて文化の違いを感じましたね。
しかし、年末が近づくある日、さらなる問題が私たちに襲いかかりました(笑)。「まだ、出るか…」と、もう笑うしかありません(笑)。今度はLCDに絡んだ問題が浮上してきました。もちろんこのままでは市場に出すわけにはいきません。一方で、リリース予定も変えることはできません。これが最後だと思い直し、エンジニア全員で諦めることなく、日々解析をし直し、会議を重ねて、なんとか対策を見出すことができました。対策が見えたのは、実に大晦日当日(笑)。エンジニア全員が心をひとつにして、難局を乗り越えることができました。2014年は私たち開発部隊にとって、そんな実感を得ることができた1年となりました。

[画像]M.K.

成果数年間に及ぶ「体質改善」を経て

2015年を迎え、CESの「ベストPC賞」を受賞したと知らせを受けた際は、NECPCもレノボも、社内は大きな喜びに包まれました。特に私たちは、大いなるトライと、さまざまな予期せぬトラブルを超えてきただけに(笑)、とても言葉では表現できないほどの感動がありました。全エンジニアが心をひとつに、真摯に、そして愚直に「コンマ1グラム」の「減量作戦」に取り組んでくれたこと。そしてその前提としてパフォーマンスを絶対に犠牲にしなかったこと。このようなNECPC全エンジニアの「想い」が、世界に認められたと素直に感じました。
今振り返れば、こうした成果を成し遂げることができたことには「背景」がありました。かつてのNECPCは、バブル崩壊後の日本経済の低迷を受け、エンジニアの現場も、コストカットの大命題を真摯に受けとめなければなりませんでした。それまでのやり方では工数がかかり、コストを下げることが難しくなっていたのです。従来のプロセスから、ODMとの協働へと全面的に方向転換したのが、2000年代初頭のこと。国内のエンジニアはプロジェクトマネージャー的に動き、開発・設計の多くはODMに移管するというプロセスへと変わっていきました。その結果、国内における工数は激減し、従来よりも少人数で動くことができるようになったのです。これは当時のNECPCにとって、きわめて大きな成果につながりました。しかし、新しい試みで8年、9年と続けていくなかで、大幅なコストダウンは実現できたものの、一方で高い品質が担保しづらくなるという「副作用」も生じてきたのです。

[画像]製作風景 [画像]製作風景

ODMとの協働は変わらず、一方でエンジニアの役割を見直すことで、体質改善を図ろうと考えました。具体的には、ODM開発を行いながら、日本品質を確保するということ。また、ODMと協働しつつ、ODMでは開発できない、日本ならではの開発を行うということ。この2点を目標としました。こうした方向転換により、エンジニアの役割も大きく変わりました。以前はODMから上がってくる評価結果を書面上でジャッジしていただけでしたが、全てのエンジニアが、ODMから上がってきたものを、社内でダブルチェックをかけることにしたのです。現場からは反発の声もあがりました。従来は、エンジニアにも「言い訳」ができる土壌が生まれていたんですね。「社内には測定器がないから調べられない…」とか。ならばということで、100名近くの全エンジニアと面接を行い、必要な機材と環境を全て用意しました。当時の私はNECPCで、最もカネを使ったマネージャーでした(笑)。こうした環境をつくりあげることで、ODMからあがってきたものを自ら調べ直し、問題点を見つけ、解決策を考えていく。つまり、単なる「発注窓口」から課題解決できるエンジニアへと方向転換していったのです。自分たちで問題点を見つけ、解決策を考えていく。このことにより、時には3日でできるものが、一週間かかることも出てきます。先輩や上司は、それを根気強く待つことも必要になりました。しかし、こうした体質改善は、一人ひとりのエンジニアを確実に強くしていきました。私の持論では、人の「技術力」はいくらでも育てられると思っています。しかし、そのためにはエンジニアが高いモチベーションで仕事に取り組むことができる環境があることが大前提となると考えます。大変さはあるものの、自ら問題点を見つけ解決策を模索する手応え。そしてその努力が製品に結実し、市場で高い評価を得る喜び。この繰り返しこそが、エンジニアを育てるのです。
第3世代「LaVie Z(ZERO)」の開発。そこには2009年から推進したエンジニアの「体質改善」が実を結び、100名近くの全エンジニアがそれぞれの持ち場で、与えられた大きな役割と真摯に向き合い最大限に全うしたという事実があります。だからこそ、CESでの「ベストPC賞」は、本当に嬉しかった。全てのエンジニアの努力と苦労が報われた。素直にそう感じました。第3世代で高い評価をいただいた「LaVie Z (ZERO)」ですが、そろそろ、第4世代のことも考えていかなければなりません。次はどうするのか…。今では全く想像がつきませんね(笑)。

Page Top